花火師
その花火師の右に出る者は誰も居ないと言われており、花火大会の季節になると花火師は花火を打ち上げる為、国中を旅して回っていた。
今日も花火師は地方都市の花火大会に向う為、打ち上げ花火を乗せたトラックの助手席に座っていた。
隣では花火師の弟子がトラックのハンドルを握っていた(そこの花火屋では伝統的に代々一人だけ弟子を取り、その弟子だけに代々伝わる技術を修得させていた)。
花火師はニコチンが30ミリグラムもあるタバコをひたすら吸い続け空を見上げていた。
花火師は酒を飲まなかった。
15の時に花火屋に弟子入りしてからというものの、花火師は半世紀も煙を吸って生きてきた。
50年間、彼は火薬と煙にまみれて生きてきた。
煙は彼にとっては酸素と同じような物なので、煙が無い所は居心地が悪かったのである。
花火が生き甲斐なので、彼は酒を飲もうと考えた事もなかった。
また彼は音楽にもあまり興味が無く、したがってトラックの中には音楽もかかっておらず、生来無口な人間だったので、トラックの中はエンジンの回転する音とハイウエイを走行するタイヤの音しか聞こえなかった。
親方が無口な事は承知している弟子だったが、さすがに沈黙に耐えられずに弟子はハンドルを握りながら沈黙を破った:
「・・・・先生、今晩晴れるといいですね」
15秒の沈黙を置いて花火師は口を開いた。
「晴れる」
花火師は天気を読む名人でもあった。
雨が降るかどうかだけではなく、風向きも花火の打ち上げに影響を及ぼすので、天気を読む事は花火師にとっては死活問題なのだ。
その後、話すべき話題が何も無くなったので、二人は黙り込みそしてトラックは花火大会が催される会場へとストイックに走行していった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
花火大会も終盤に近づいてきていた。
花火師とその弟子は汗だくになりながら次々と花火を打ち上げていた。
弟子が導火線のスイッチを入れると鉄製の筒は火柱を上げ花火の玉を夜空に向け打ち上げた。
シュルシュルシュルという音をたて三尺玉が夜空へと舞い上がり、ピカッと光りながら炸裂をした。
0.5秒後にズドオオーンという轟音が二人の腹に響き、錦冠の銀色の花が夜空に咲いた。
「フン、今のはお前が作った玉だな。まだまだ星の詰めが甘いな」
と花火師は弟子に言った。
自信の作品だと思っていたのに、師匠にそのように言われたので弟子は黙って師匠の話を聞いていた。
「・・・・・星を詰める間隔が不揃いなのだよ。まだ分からんだろうな。玉の中に星を詰める時にお前は念がこもっていなかったのだ。ワシには今のを見ただけで玉を作っている時にお前が何を考えていたのか全て分かるぞ。
お前は花火に込めている愛情がまだまだ足りん!!」
「・・・・・・・・・・」
「たとえば次に打ち上げるスターマインはお前は少し手抜きをしたな。
二重目の層がまだ十分に乾燥していないのにお前は火薬を詰めただろう?」
図星だったので、弟子は驚いた。
「先生、どうしてそんな事まで分かるのですか?」
「匂いだよ。ワシは玉の匂いを嗅ぐだけでその出来が分かるのだ。目をつぶって火薬の匂いを嗅ぐだけでもワシには全ての粉の違いが識別できる。勿論、花火が散る時の音だけでもその出来不出来が分かる」
それを聞き、弟子は師匠はやはり国一番の花火師であると確信した。
「先生、先生にはもう同レベルのライバルなんか居ないでしょう?」
「・・・・いや、居る。ワシよりも凄いのが居るぞ」
「誰ですか、それは?」
「お前にはまだ話していないが、今晩そいつと対決する事になるかもしれん」
「今晩?その花火師はここに来ているのですか?」
弟子はトラックの最後尾に積まれている大きな箱を思い出した。
きっとその箱に勝負花火が入っているに違いなかった。
「向こうの方から対決する場所を指定してくるはずだ。ワシは何十年もこの時を待っておった」
花火大会が無事終了し、花火師の弟子はハイウエイのサービスエリアにトラックを止め師匠が電話ボックスから出てくるのを待っていた。
時計は丁度深夜0時を指していた。
夜空には月が無く、明かりといえば瞬く星とハイウエイを照らすオレンジ色の明かりだけだった。
電話ボックスを見ると師匠が電話ボックスから出てきてトラックに向って歩いていた。
花火師がトラックの扉をガチャンと開けると言った。
「場所を指定してきたぞ。ワシの言うとおりに道を走らせろ」
トラックはハイウエイを出て、人里離れた山道を走っていた。
道の脇には、暗くて見えないが川が流れているようだった。
時計を見ると、深夜1時を回っていた。
「先生、どうしてこんなへんぴな所で花火を打ち上げるんですか?本当だったらもっと広い空間が無ければいけないのですが・・・・」
「分かっておる、分かっておる。しかしこれから打ち上げようという花火は十五尺の玉なのだよ」
「十五尺?!そんな巨大な花火は聞いた事ありませんよ!!」
「そう。だからなるべく人の目に触れたくないのだよ。なんせ違法だからな。
ワシは密かにこの花火を5年がかりで作っていた。恐らくワシの最高傑作だろう・・・・・。お、この場所だ。トラックを止めたまえ」
花火師と弟子はトラックを降り十五尺玉と打ち上げ用の筒を背中に担ぎ、道路の脇にある獣道へと足を踏み入れた。
しばらく歩くと、夜中だというのに一人の少年が向こうから歩いてきたので弟子はギョッとした。
道の向こうを見ると見捨てられたような古い城が立っていた。
きっと少年はあの城に住んでいるのだろう、と弟子は思った。
「君、君はここらで一番星空が見渡せる場所を知らないかね?」
と花火師は少年に話かけた。
「・・・ああ。それだったらこの道の先にある丘の上がいいんじゃないかな。
その丘の上からだったら、きっとこの宇宙中の星が見渡せるよ」
そのように少年は言うと、その場を後にした。
丘の上に着くと二人はさっそく十五尺玉の花火をセッティングする作業に取りかかった。
作業が終わり、懐中電灯の明かりを消すと暗闇が二人を包み、少年の言うとおりまるで宇宙に浮かんでいるかのような星空が見渡せた。
都会ではけっして見る事の出来ない満天の星空だった。
頭上を見ると天の川がくっきりと見え、大気の密度の影響で星々が揺らいでいるのが分かった。
「先生、本当にこんな所までライバルは来るんですか?」
「もうお前にはワシのライバルは見えておるよ」
「は?」
「ワシのライバルはお前が見ておる星空だよ」
「・・・・・ちょっと待ってください!さっき先生は電話ボックスで誰と話していたのですか?まさか先生は星空と電話で話していた、と言うんじゃないでしょうね?」
弟子の問いには答えずに花火師は言った。
「星空ほど、この世で美しい物は無いだろう?優秀な花火師が何十人かかってもあの星空には及ばぬ。・・・・ワシはあの星空に嫉妬した。
そしていつかは、あの星空を負かす程の花火を作ろうと心に決めたのだ!
そしてとうとう、決着を付ける日がきたのだ・・・・・」
とうとう師匠は気が触れたのか、とポカンとした顔で弟子は花火師を見た。
しかし花火師の顔は真剣そのものだった。
「・・・先生、どうしますか?導火線に火を付けますか?」
「まて!!向こうから合図があるまで待つのだ」
と花火師は弟子に言い、30ミリグラムのタバコに火を付け草むらの上に腰を下ろし、星空を鋭い目付きで見上げた。
師匠を天気を読む名人だという事は知っていたが、星空と対話をする名人だとは弟子は夢にも思わなかった。
人には、色々と周囲の人すら知らない側面があるものだ、と考えながら弟子も草むらに腰を据えた。
30分ぐらい経ち、暗闇の中で花火師の息の調子が変わったのを弟子は聞いた。
花火師は立ち上がり弟子に告げた。
「今だ!合図があった!!火を付けろ!」
弟子は導火線のスイッチを入れた。
シューッという音をたてながら導火線が燃えてゆき、本体の筒の中に火が入っていき、しばらくの間の後、巨大なズボンッという音をたて十五尺玉が火に包まれながら空に飛んでいった。
二人ははるか上空に上がっていく十五尺玉とそれが描いていく軌跡を見つめた。
数秒後、空の彼方で十五尺玉が炸裂し、四方に金色と銀色の放射線状の星々の花が開いていった。
今まで聞いた事もない巨大なズガアアーンッという音が二人の元に届いた。
周囲の山は花火の明かりで真っ白に染まり、上空では半径1キロはあるであろう巨大な冠スターマインの壮大な花が開いていた。
「先生!!見事です!こんな花火は私はいままで見た事もありません!!」
しかし花火師は表情ひとつ変える事無く巨大な花火に包まれた夜空を見上げていた。
キラキラと舞い降りる幾十ものスターマインの残滓を見つめながらも花火師は黙って空の彼方を見ていた。
(どうだ!!星空よ。これがワシの50年の集大成だ。これがワシの「念」なのだ!!)
しかし星空は何ひとつとして答えなかった。
花火の残滓が消え去り、周囲が再び暗闇に包まれ、花火師はガックリと膝を草むらに落とした。
その時、大気が揺らいだせいなのか星空全体が一瞬、瞬いたかのように見えた。
花火師は立ち上がり、弟子に言った。
「見たか?!いま星空が一瞬だがワシに屈服したぞ!!」
「そうなんですか?私には星空全体が瞬いたように見えたのですが」
「そうだ!!星空は、いや宇宙はワシの花火に歓声を上げたののだよ!!聞こえなかったかね?」
そろそろ病院を呼んだほうがいいのだろうか?と考えながら弟子は言った。
「つまり、宇宙は先生の花火に負けたのですか?」
「バカを言うな。宇宙が負けるわけが無いだろう?しかし、一瞬だが宇宙はワシの花火を認めそれに屈服したのだよ!・・・・ハハハハ!!こんな愉快な事はそうそう無いぞ!!人間が自然や宇宙に対抗して勝てる訳が無いのに、しかし一瞬の間ではあるが人が宇宙と勝負をして勝つ事が出来たのだぞ、君!!」
山を下山しながら花火師は弟子に言った。
「ワシはもう引退をするよ」
「なんですって?しかし先生の腕はちっとも落ちてはいません。今の花火を見てもそれは十分に分かります!」
「ワシにはもう思い残す事はあまり無いのだよ・・・・。まだお前は未熟だが、見込みはある。お前がワシの後を継げ。もう十分に技術は伝授してある。
後は『精神』の問題だよ。・・・・なに、その内ワシが何を言っているのか分かる日が来るだろう」
「・・・・・・・・・・・」
花火師の話を聞きながら弟子は、職人とはこんな変人ばかりなのだろうか?と考えていた。
もし後を継いだら、自分もドンキホーテのように宇宙に勝負を挑むようになってしまうのだろうか?
花火師の弟子は一方ではこの世界に踏み入れた事を後悔しつつ、一方では花火師の親方を継いだ事を喜び、未来を思い描いていた。
花火師とその弟子の頭上では天の川が煌めき、足下の草むらからは虫の音が聞こえていた。
もう、秋も近くなっていた。