パウロ・コエーリョ「章を閉じる時」
(この文はパウロ・コエーリョを名乗る人がネット上で掲載していた。しかし、これはパウロ氏が書いた文章ではない。いくつかパウロ氏本人が修正をして、氏のブログに掲載された)
人はいつでもそのひとつの段階が終わった事を知らなければいけない。
もし人が不必要にその段階に留まっていたら、次の段階へと進み人生の喜びを得るという事が出来なくなってしまう。
サイクルを終わらせる、ドアを閉じる、章を終わらせる-何と呼ぼうが構わないが、人は過去を清算して次なる段階へと進まなければいけないのだ。
君は仕事をなくしたのだろうか?
愛が終わってしまったのだろうか?
両親の家を出て一人暮らしを始めたのだろうか?
国を出て海外で暮らし始めたのだろうか?
長く続いた友情が終わりを迎えたのだろうか?
何故そのような事になってしまったのか、君は長い時間をかけて思い悩む事も出来るだろう。
確固だった事が粉々に砕け散った事に対し君は、その原因を見つけ出すまでは次なる段階へと進む事に躊躇するのかもしれない。
しかし、そのような態度は周囲の人間(両親、パートナー、友人、子供、兄弟)にストレスを与えるだけだろう。
周囲の人々はすでに章を終え、ページをめくって次の段階へと進んでいる。
その人々は君がまだ立ち往生をしていのを見ていて良くは思わないだろう。
物事は過ぎ去っていく。私達に出来る最善の策とは、それらを過ぎ去るに任せる事なのだ。
だからこそ、(たとえそれが苦痛を伴う事だとしても!)大切にしている記念品を捨てたり、引っ越しをしたり、孤児に私物を寄付をしたり、本を売ったり寄贈する事がとても大切なのだ。
君の目に見えている出来事は、全て君の心の中で起きている鏡像現象なのだ。
要らなくなった思い出を捨て去る、という事は君の心に新たな思い出の居場所を作るという事なのだ。
去るに任せよう。
手放そう。
断ち切ってしまおう。
誰しも印が付いたトランプを使ってゲームをしている訳ではない。
だからこそ私達は時にはゲームに勝つ事もあれば負ける事もある。
物事に見返りを期待してはいけない。
君の努力が評価される事を期待をしてはいけない。
誰かが君の天才性を見つけ出す事を期待してはいけない。
君の愛が相手から理解される事を期待してはいけない。
何度も繰り返し同じ感情ドラマを見続けない事。
その番組は君が過去に傷ついた感情ドラマを再演しているのだが、それは君の心を害しているだけだ。
すでに終わってしまった友愛関係にしがみつく、
約束された仕事をいつまでも待っている、
「理想的な状態」が訪れるのを期待する、
というのはとてもとても危険な事なのだ。
新しい章が始まるには、前の章が終了していなければいけない:君は自分自身に、過去に起こった事は二度と戻ってはこないという事を言い聞かせなければいけない。
それらの物や人物無しで、かつて君は生きていた、という事を思い出そう。
依存していた習慣を捨て去ろう。
とても難しい事なのかもしれないが、しかしこれはとても大事な事なのだ。
その章を閉じよう。
それは君のプライドの為ではない。
君が無能だからでもない。
君が尊大だからでもない。
ただ単に、それは君の人生に適合しなくなったからだ。
そしてそのドアを閉め、かけている音楽を変えよう。
家をきれいにして、ほこりを払い落とそう。
かつて君が何であったかを止め、そして何であるかに変化していこう。
translated by Ken Crane
http://paulocoelhoblog.com/2010/12/31/closing-cycles-eng-espa-port/