悪魔を憐れむ歌
世界中の人々は驚いた。
なにしろ悪魔が生きて捉えられたのだから。
報道関係者によれば悪魔は警察署に自分から出頭し、世界中の悪事は自分がやったのだ、と自供したのだという。
悪魔はどこへも逃亡する様子もなく(大体、悪魔を物理的に拘束できるのかどうか疑わしかった)、自らが望んだという事もあり記者会見が開かれる事となった。
記者会見の当日、会場には世界中から報道関係者などが詰めかけた。
悪魔が会見席に現れると人々は驚いた。
悪魔はあまり目立たないスーツを着たどこにでも居る普通のビジネスマンような格好をしていた。
顔も至って「普通」の顔をしており、みんながイメージしていた「悪魔的」な悪魔とはほど遠いイメージだったのだ。
サラリーマンのような姿をしたその悪魔は手に手錠がはめられており、両側に武装した警官が付いていた。
悪魔が会見席に腰をおろすと、一人の記者が手を上げ悪魔に質問をした。
「あなたは本当に悪魔なのですか?」
「そうです。信じられないかもしれませんが、私は悪魔です。ここに居るみんなは私にはシッポも生えていないし、頭に角も生えていないし、普通の人間のような姿をしているのが不思議なのでしょう。しかしそれこそが、私の狙いなのです」
「と言いますと?」
「私の仕事とは人間に不信感を植え付ける事です。私がいかにも恐ろしい悪魔のような姿をしていれば、人間は私をただ排除するだけでしょう。
悪魔が普通の善良そうな姿をしていれば、人々は隣に居る善良な人々すら疑うようになるでしょう。それこそが私の計画なのです。」
「つまり、あなたはその計画の為に自首したのですか?」
「そうです。これは私悪魔とあなた方人間との最終戦争なのです」
会見場は更にざわめいた。
しかし全ては手遅れだった。
すでにこの会見の模様はテレビやインターネットを通じて世界中に配信されていたからだ。
記者会見は即中止されたが、悪魔が打った第一手は悪魔の勝利となった。
すでに世界中の人々はその記者会見の模様をテレビなどで見ていたのだ。
悪魔は特別に作られた収容所に収容され、悪魔を研究するチームが組織された。
その研究チームは心理学者、社会学者、宗教家、科学者、医者で構成されていた。
医者達は悪魔から血液を採取し、CTスキャンで体をスキャンをし、心電図をとったりして徹底的に悪魔を検査した。
その結果、驚くべき事が判明した。
悪魔には左脳しかなかったのだ!
悪魔の頭部をスキャンしてみると、右側の頭蓋骨内は完全に空洞になっており、左側にしか脳が映っていなかったのだ。
これには研究チームも驚いた。
研究チームの一員である心理学者は悪魔にインタビューしてみる事にした。
心理学者が悪魔の独房に入ると、悪魔はコーヒーを啜りながら新聞を読んでいた。
心理学者は悪魔の目を見ながら慎重に言葉を選び悪魔に質問した。
「あなたには左脳しかありませんね」
「そうです。もっと正確に言うと悪魔は左脳に住んでいます。私は人間の左脳を住処としているのですよ」
「左脳が悪魔だという事ですか?」
「それはあまり正確な表現ではありませんね。左脳はご存知の通り人間のロジック、つまり言語能力や理性を担っています。悪魔は人間の言語や理性の中に住んでいるのです。驚きましたか?」
心理学者は黙りこみ悪魔に喋らせる事にした。
「あなた方学者は理性やロジックを使って人類の進歩に貢献してきました。
しかしそれこそが悪魔を育む温床となっていたのですよ。
あなた方学者先生は私から見ればミイラ取りがミイラになってしまう、という格好の見本ですな。ご覧の通り私達悪魔は紳士的です。もうお分かりかと思いますが我々悪魔の知能指数は非常に高い。学者達はそこに騙されてしまう、という訳です」
「おまえの究極の目的はいったいなんだ?」
「性悪論の普及です」
「性悪論?」
「そうです。私の本当の住処は人々の性悪論の中にあります。
世に悪が蔓延るには人々が疑り深くなる事なんです。それには手始めにあなた方のようなインテリから性悪論に染めるのがてっとりばやい。なにしろインテリは疑り深いですからね」
「子供はどうなる?君の理屈だと勉強ばかりしている子供は悪魔に取り付かれやすくなる」
「なかなか、いい点をついていらっしゃる。
その通りです。勉強ばかりしている子供は悪魔に取り憑かれます。
悪魔の私が言うのだからその点は保証しますよ。
そのような子供は13、4歳になる頃には喧しいロックを聴き出します。
何故だか分かりますか?
彼らの心の中で天使と悪魔が戦っているからです。
私はそこで天使を打ち負かさなければいけません。
私は子供達に人を信じてはいけない、という情報を与えます。
子供達がそこで悪は美しい、と思えば私の勝利です。
あなたもお気づきのとおり、頭の良い子ほどこの手は有効です。
左脳の勝利ですな」
「性悪論に取り憑かれると人はどうなるのかね?」
「あなたは意外に思うかもしれませんが、人が性悪論に傾くとその人は一時的にとてもエネリギッシュになります。
性悪論者は一見するととてもハッピーで、躁病状態を呈します。
しかしその人は周囲の人間を誰も信用していません。
そしてその人はそのエネルギーを利用して世に悪の美しさを説くのです。
こうなると、その人は完全に私のコントロール下ですな」
「その後は?」
「エネルギーを使い果たして抜け殻のようになってしまいます」
「それ以外のお前の手口はなんだ?」
「そうですね、貧しい国々では私は『貧困』を武器にしますね。
しかしいくら貧しくても、古い伝統を重んじる地域に悪魔が侵入するのはとても難しいのですよ。
なにしろそのような地域に住む人々は古来より悪魔の実在を信じていますからね。
そこで私は貧困そのものではなく、貧富の格差を利用します。
簡単でしょう。
彼らに、金持ちは悪人だと思わせればいいのですから。
地上で起こる戦争の大半はこれで起こるわけです。」
「先進国ではどんな手を使っている?」
「なんだと思いますか?
意外かと思われるかもしれませんが先進国では私は『性』を武器にします」
「性だと?」
「そうです。
その目的とは先進国の人々の自尊心を失わせる為です。
人は自尊心を無くすと悪魔に取り憑かれやすくなります。
そしてその自尊心を失わせるには性を利用するのが手っ取り早い。
性で人間をコントロールすると、彼らは自らを『悪人』だと思い始めるのですよ。
そうすれば私は彼らの心の中に侵入しやすくなるのです。
私の侵入を許した人間達は次第にSMの概念を口にするようになります。
私のコントロールを受けているとも知らずに」
「なるほど。性を美しい事ではなく醜い行為だと思わせる訳だな。まさに性悪論だな・・・・・」
「さすが学者先生、飲み込みが早い。
先進国では男と女を対立させると私が主導権を取りやすいのですよ。
しかし人間は実は人間達が思っている程性欲は強くないのです。
それは性欲というよりはギャンブル依存症のような脅迫観念に近いのです。
実はあなた方の心理学の創始者であるフロイトも私が彼の心に侵入して彼の学説を支えたのです。
つまり、あなた方心理学者はすでに私のコントロール下にあるのです。
お分かりですか?」
心理学者はゾッとしながら悪魔の話を聞いていた。
心理学者はその時、自分の左脳に悪魔が侵入していく気がした。
危険を察知した心理学者は悪魔の独房を出た。
このインタビューの模様を世界に伝えるべきだろうか?
しかし、それはもしかしたら悪魔のシナリオどおりなのかもしれない。
研究チームは会議を重ね、
その結果研究チームのメンバーである神父が悪魔と対決する事となった。
やはり最後は科学ではなく神頼みか、と学者達はため息をついた。
しかし悪魔と対決するには学者達はあまりにも左脳型の人間なので、彼ら学者が悪魔に近づくのは危険だと考えたのだった。
神父が悪魔の居る独房のドアを開けると、悪魔はまだ新聞を読んでいる所だった。
悪魔は神父を一目みると、今度の敵は手強い、と感じた。
しかし悪魔はこのタイプの人間と何千年も戦ってきたのだ。
宗教家というのは、100パーセント右脳型の人間なのだ。
つまりロジックに欠け、迷信深い。
その迷信深い所を攻撃すれば、この神父も落とせるはずだ、と悪魔は考えた。
しかし最初口火を切ったのは神父だった。
「やあ、悪魔君。貴様が現れてから随分と世の中には残酷で陰湿な事件が増えたな」
「ごきげんよう、神父さん。ようやく戦いがいのある相手を送ってきた、という訳ですね」
「そういう事だな。長年神父をやっていながら一度も神に出会っていないのに、まさか生きて捉えられた悪魔に対面するとはね」
神父の話を聞きながら悪魔は危機を感じていた。
悪魔はこの神父にユーモアのセンスを感じたからだ。
ユーモアがある、という事は左脳が発達している証拠なのだ。
右脳と左脳がバランスよく発達した人間は悪魔が最も恐れる敵だった。
迷信深い人間であれば、迷信を利用して彼を狂気の世界へと追い込む事が出来るからだ。
右脳型の芸術家は悪魔と対面するとその殆どは狂気の世界に落ちていく。
しかし今回のこの神父は手強い相手だった。
冷や汗を流しながら悪魔は神父に聞いた。
「神父、あなたの武器はなんですか?」
「直感、だな」
「直感?」
「そう、直感だ。私は他の学者のようにお前の理屈には耳を傾けんぞ。私はお前が何を言おうとお前の言葉は何も信じんよ」
「直感、なんて何の役に立つというのです?人類がここまで進歩してきたのは私が居たからではありませんか?悪魔が科学や文化を発展させてきたのです」
「それは嘘だな。貴様がやってきた事はこの世に憎悪の連鎖を植え付ける事だろう」
「憎しみがあったからこそ、人類は過酷な自然に立ち向かい文明を発展させる事が出来たのでは?」
「嘘をつくな。全ての生命の本質とは自尊心だ。
自尊心とは愛だ。
愛こそが生命の本質なのだ。
貴様の言う憎しみとは生命の持つ怒りとは区別される物だ。
それは子供ならば誰でも知っている事ではないのかね?
貴様がまだ小さい子供に取り憑けないのは、子供がその本質を知っているからだろう。
憎しみとは人間の自意識の中にしか存在しない。
貴様は人間の生み出した幻想にすぎないのだよ」
それを聞いた途端、悪魔は青ざめた。
悪魔の存在を神父が否定しようとしているのだ。
「神父さん、あなたは本当に聖職者なのですか?
あなたはまるで唯物論者のような事を言う。
悪魔である私を否定する、という事は貴方の信じる神も否定する、という事なのですよ!」
「神も悪魔も実在するとも。心の中ににね。
しかし私の直感によると、貴様は本当は悪魔ではないな」
「なんですと?!私が悪魔でないとすれば私はいったい誰なんです?」
「きっと貴様自身知らなかったかもしれないが、貴様を突き動かす悪のエネルギーはまた別のエネルギーに支えられているのだろうな」
「・・・・・それはいったい何のエネルギーなのです?」
「『悪魔』というのは貴様の仮面に過ぎないのだろう。貴様の本当の名前は『孤独』なのだよ」
悪魔は神父のその言葉を聞いた途端、孤独になった。
孤独になった悪魔は自分の正体を知り涙を流し始めた。
「そうだった・・・・・・。私は実は孤独だったのだ。何千年も私は孤独だったのだ」
「そう。貴様は何千年分もの人類の孤独が結集したエネルギー体なのだ。
愛が信じられなくなった貴様は強くなる為に『悪魔』という役割を演じるようになったのだ。
私は貴様を憐れむよ、心から」
神父が悪魔だった孤独にそのように言うと、孤独は次第に姿が透明になり、完全に消え失せてしまった。
不思議な事に悪魔だった孤独が消え失せると、人々の記憶からも彼の記憶が消えたのだった。
まるで何事もなかったかのように、人々は悪魔の出現の事を忘れてしまったのだ。
ただ一人、悪魔と対決した神父だけは彼の事を記憶していた。
とても不思議な事だったが、きっと悪魔はいつもこのように人々の前に現れそして消えていくのだろう。
この次に悪魔が現れる時には悪魔はどのような姿で人々の前に出現するのだろうか?と神父は考えた。